太宰府市民塾かわら版より転載
市民も無関心ではいられない・・・
行政失策のツケは市民に回ってくる!

 
  太宰府市の6月定例議会で、総合体育館(体育複合施設)建設のための実施設計料追加を含む一般会計補正予算が修正可決されました。
  この修正というのが、執行部の目論む実施設計料分3700万円を削除する、ということなのですから、これで建設の進捗・実現は覚束なくなります。
 市長は議決の後に早速発言を求め、総合体育館の早期建設は見送ることを表明しました。
  常々行政執行部に対する議会の弱さ・脆さが目につく太宰府市でのことですので、これは異例の、ちょっとした事件という印象もありました。
  もとはと言えば、去る3月議会の平成24年度予算案で、実施設計料を認めなかった経緯があり、それを今回執行部は補正予算として、そのまま復活再登場させたという訳です。
  執行部から議会の総合体育館建設問題特別委員会への説明資料「体育複合施設建設に関する基本的な考え方」を見る限り、何とも稚拙な内容で、これでは議会筋とて、諸手をあげて賛成するわけにはいかないのが道理です。
  この経緯で感じたことを記しながら、目下の課題である自治基本条例制定へと話をつないでみましょう。

計画性の欠落

 折から太宰府市政30周年ということですが、ここ50年ほどの郊外住宅地化に伴う都市の物理的整備はいかにも貧弱という他はありません。
  郊外住宅地化を計画的にまた現実的に受け入れ、都市形成していくことは、太宰府の行政には荷が重すぎた、と思えます。
  都市の基幹をなす道路は、体系的に整備されることも殆どなかったようです。
  さらに、太宰府市の公共施設の配置が極めて散漫で、都市としての「へそ(中心性)」がないことは、誰もが気づくことでしょう。
  出来上がった都市の姿からは、行政には、都市形成の全体像を見据え、それに向けてのたゆまぬ努力をすることが欠落していたと推察されるのです。
  このような状態で、今回のように新たな公共施設配置を考えようとすると、答えはその時その場での可能な範囲に狭められるのは当然です。
  それが都市全体にとって最適なものか、と問われると、相当に無理な「こじつけ」が必要になってしまいます。

構想の貧困

 不思議なことに、総合体育館の実施設計の予算を求めている段階にありながら、執行部はその基本となる計画はおろか、さらにその基本となる構想すら市民に広く明示していません。
  上記の委員会提出資料では、それまでの「総合体育館」を新たに「体育複合施設」と称して、防災・避難・子ども・高齢者などを取り込んだものとするということを謳っています。
  であれば、今こそこれらの要因を入れた「基本構想」をしっかり練り上げるべきで、今はとても実施設計の予算を計上する段階ではありません。
  それにしても、その資料には、〈高齢者の憩いの場〉、〈高齢者の健康増進・体力維持〉、〈子どもと高齢者のふれあいの場〉、〈子どもの居場所〉等々の、歯の浮くような言葉が散りぱめられているのですが、それがどの様なことなのか、一向ににイメージが湧いてきません。
  何が何でも子どもや高齢者をこの総合体育館に駆り出し利用しようとする姿勢ばかりが目立って不愉快です。
 高齢者や予どもがあの敷地に辿り着くだけでも大変なことに間違いはありません。

過程の不透明性

 執行部は、市民・市民団体の要望を受けて、としきりに言いますが、であれば、考え方を広く市民に周知し、そればかりか、市民の知恵を募り結集するくらいのことは行うべきです。
  公共建築物の計画や設計が競技設計(コンペテイション)として広く公募されることが、日本でも定着してきています。その点からしますと、太宰府市では、まるで「密室」でことが運ばれているかに映ります。
  いずれにしろ、このような公共施設整備の場面は、市民と行政ひいては議会との情報共有、また市民の参画を実りあるものとする実践の場であり、また生きた学校でもある点が大事なのです。

 さて、現在当市では自治基本条例制定に向けての市民会議が、その幹事会の始動で活発な議論に踏み込もうとしています。
  自治基本条例は、個々の施策に関わるものではありませんが、少なくともおのおのの施策の場面・舞台において、登場すべき市民・議会(議員)首長(執行部・職員)の関係の在り方を、ルールとして明示すべきものです。
  そこでは、お互いが情報を公開し、また共有することが基本でなくてはなりませんし、同時に、その共有する情報を資源として、知恵も力も出し合ってこそ、自治体としての力も質も高めていくことが出来るはずです。
 このような観点からしますと、先に「計画性の欠如」、「構想の貧困」、「過程の不透明性」で述べましたようなことが、行政執行部の問題に偏ったものであることに気付きます。
  もちろん、議会の責任も大きく、市民とて現在の選挙制度では、行政の失策のツケは、結局は市民に回ってくるのも当然です。
  自治基本条例の制定を発意した行政側の意図は未だに読みきれていません。
  「自治基本条例が未だに制定されていなくて、今行政が困っていることは何でしょうか?」このような問いを市長に発したい気持ちもあります。
  さらに、市長には、一方で情報共有と市民参画が柱となるであろう自治基本条例の制定を謳いながら、他方の体育館建設では、情報共有も市民参加も顧みないという矛盾の同時進行があります。
  市民会議の今後の経緯を注視しなくてはならないのでしょう。

(森岡侑士)