特攻勇士の像
今日は終戦記念日です。
お昼にサイレンがなりましたので、息子(小2)と黙祷の後、私が知っている戦争の話をしました。 が、よく解らなかったようです。
無理もありません。私自信、「もはや戦後ではない」といわれた昭和31年(1956年)の生まれで、戦後の耐乏期を含め実体験として話せるものは何もなく、書籍や映像、知人からの伝聞をもとに、自分なりの歴史観で説明しているのですから、息子にとって現実感が無かったのでしょう。
しかし学校の勉強とは別に、親から子へ日本の成り立ちと歴史を伝えていくことは重要な責務であり、喜びです。繰り返すことでいつか理解し共感してくれるものと信じています。
先月ですが、公益法人特攻隊戦没者慰霊顕彰会(東京)が進める特攻勇士の像建立事業に賛同し福岡県でもお祀りしようと「特攻勇士乃像建立福岡県委員会」から協賛の依頼がありました。
以前、福岡西方沖地震で被害を受けた福岡陸軍墓地の修復に微財を供したことがあり、その関係で案内が来たのだと思います。
昭和19年優勢な米艦隊に対して、海軍はフィリッピン作戦から特攻作戦を行い、また沖縄戦においては陸海軍による各種特攻が果敢に実施され、実に6000柱に近い方々が死を前提として出撃されました。福岡県からは陸海あわせて300柱以上といわれています。(同案内より)
戦争を繰り返さないためにも日本がどう戦いどう敗れたのかは記憶し忘れてはなりません。
マスコミは物量や情報量の差、軍部と政府の不和、情報の共有ができていなかったこと、あるいは戦地での非行などについては、次々と新しい事実?を掘り起し報道します。
しかし軍が使命感と誇りを持ち、兵士は国の繁栄を信じて戦火に身を投じたことを、報道の主題としたものをほとんど見たことがありません。
歴史については専門家は別として個人では認識の材料も機会も限られます。したがって個人の考えはそれぞれですが、国家としての歴史認識は百年千年の国民精神を支えるものでなくてはなりません。一時しのぎの政治決着は愚の骨頂です。
拙文かつ要領を得ないので「門田は右翼か?」といわれそうですが、そもそも右や左といった「決めつけ」は意味がありません。
私がいいたいのは生まれ育った日本と、国を建て発展させてきた我々の祖先、そして元寇の昔から国土を死守してきた英霊に感謝と誇りの念を持つのは当然であり、このことは先の大戦とその結果とは別の事(次元)である、ということです。
案内の建立事業は顕彰会が作成した「特攻勇士の像」を護国神社に贈り、場所を提供してもらい、台座・基礎・説明碑等について地元有志で負担しようというものです。
今回も僅少ながら協力をさせていただき、建立の暁には息子とともにお参りしたいと思います。