一般質問
今回は「いじめ問題」について質問しました。答弁者は教育長と教育部長です。
(質問内容)
全国でいじめによる子どもの自殺が相次いでいます。
中には真相解明と再発防止を求める被害者遺族と学校・教育委員会との対立から、警察介入に発展したところもあります。
本市の取り組みでは市議会の総務文教常任委員会が1年おきに全小中学校を視察訪問しており、その際事前に調査項目を文書で通知し、訪問時に回答を受けてきました。
しかし少なくとも私が議員となり調査に加わった、平成15年以来学校側の説明では「いじめ」の発生件数は0件です。
「いじめ」に関しては平成16年6月、平成18年12月、平成21年6月定例会の一般質問において教育長は「いじめの報告を受けた」と答弁されています。 このことと市議会として各学校を訪問調査した時の回答との齟齬についてご説明ください。
現実的に六千人余の児童生徒が毎日顔を合わせて十年近く一度も「いじめ」がなかった、また教師が何も知らなかったなどとても考えられません。
いじめ0件の理由として、各学校と市教委は「なにをもっていじめとするのか判断が難しい」といっておられました。
文部科学省は、いじめの定義を「自分より弱い者に対して一方的に、身体的、心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」としていますが、どちらが強いか弱いか、一方的か相互的かの判断、また継続性や当事者の苦痛をどう認定するのか、適用が難しいと思われます。
このことにつき、教育現場でより具体的な基準や実効性のある対策はあるのか伺います。
また判断が難しいことは理解できますが永年0件というのは関係者ことごとく「いじめ」は認めたくないという考えの結果と思えてしまいますがご所見をお聞かせください。
私見ですが、こういった背景には「いじめ」の存在が表にでると教師や学校の評価が下がるという危惧が関係者にあるのではないのかと思います。
筑前町のいじめ自殺事件の後、平成19年に策定された「福岡県いじめ問題総合対策」では「学校や学級におけるいじめの発生件数で、校長や教員を評価することはない」また「いじめはどの学校にもあるという認識に立ち、発生件数による評価ではなく、問題に対して学校がどのように取組を行っているかについて評価する」と記されています。
問題行動が多様化する中、学校現場も教育委員会も様々な対策を実施され成果を挙げてこられたことは議会答弁や各種報告によっても明らかですが、現実に全国各地で自ら命を絶つ子供たちがいる以上、少なくとも本市においては一人の犠牲者も出してはならないと心底より感じ、いじめ問題に関して本市の現状と今後の取り組みにつき伺います。
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最初の委員会調査と議会答弁が違っている点は個々の学校の集計と教育委員会への報告に時間的ズレ?があったという趣旨の回答がありました。
この表は決算審査資料による平成23年度の不登校・いじめ・暴力の実態です。
太宰府市立 |
不登校 |
いじめ |
暴力 |
対教師 |
生徒間 |
小学校 7校 |
17 |
2 |
0 |
0 |
中学校 4校 |
40 |
1 |
1 |
1 |
合 計 |
57 |
3 |
1 |
1 |
よく「不登校やいじめ」と一絡(から)げに論じられますが、本質的には別の問題です。
「いじめ」が原因で「不登校」になることもありますが、「不登校」には様々なタイプがあり「いじめ」は因子のひとつです。
また不登校の状態を改善することが先に立つと、いじめられている子が無理に登校を続け、問題が深刻化することもあります。無理にいかなくてもいいのです。
いじめの件数は過去の議会答弁時から特に増えてはいません。とはいえ学校側が「評価が落ちる」と考えて正確な情報を出していない惧れもあります。
文部科学省による「いじめ」の定義は上記質問の通りですが、学校の内外を問わず個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、「表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする」とされています。
ところが「福岡県いじめ問題総合対策」では「いじめの報告体制」のなかで「定義はあくまでも調査のための指標であり…状況を見守り、…指導することが重要で…継続的な指導の中で…いじめではないかと判断した時は、速やか(?)に教育委員会に報告するようにする。※1」とあります。
定義は問題・課題の解決(議論)に必要だから定めているのであり、調査は問題解決の過程の一つに過ぎません。
見守り、指導、観察、検討、判断はどれも大切です。しかしその間にも時間はどんどん過ぎていきます。問題が困難な状態になって報告しても「速やか」とはいえません。
見守り、指導…の段階で解決することもあるでしょうが、全国で起きているいじめ事件は学校や担任が状況の深刻さを見誤ったり、内々で処理しようと報告を怠ったことが、子供の自殺という取り返しのつかない事態を招いた原因と私は考えています。
県の対策に、いじめに関する学校評価については「発生件数ではなく学校の取組内容を評価することに留意する必要がある※2」と記されています。
やっと「いじめはどこにでも起こり得る」という立場がでてきたようです。
答弁の内容は抽象的でしたが、学校だけで問題を抱え込まず行政、地域が一体となり取り組んでいくべきだという趣旨は理解していただけたと感じています。
※1 文末の「報告するようにする」は「報告する」でいいと思います。行政言葉かもしれませんが他人事であるかのような無責任な感じを受けます。
※2 文末は「評価する」でいいはずです。「評価することに留意する必要がある」という回りくどい表現では、するのかしないのか判然としません。
市長の暴言
上(うえ)議員の一般質問の中で驚きの発言が井上市長からなされました。
上議員は市道の整備計画等について質問していたのですが、突如市長が「議員の屈折した考えによる質問には・・※1」と言いだしました。
地方自治法には会議における紀律(規律)として、「議員は無礼の言葉を使用してはならない」とう規程があります。「議員」となっていますが首長でも職員でも同じです。
首長(市長)が議会答弁において、質問した議員に対し直接に侮辱するなど聞いたこともありません。
一同耳を疑いましたが、他の議員から市長へ抗議の声が挙がったのに対し、上議員がそれを制して発言を続けられましたので、一応その場は収まりました。
しかし議会としてそのままでは暴言を認めたことにもなるので、正副議長を通じて市長に訂正を求めましたが、市長はこれを拒否しました。※2
井上市長との間にまともな議論が成り立ちにくいことは今に始まったことではありません。
しかし本会議場で直接に暴言を吐き、恬(てん)として恥じない現実を目にすると、太宰府市の前途に対し暗澹たる思いです。
ちなみに上議員の質問の要旨は「A地区における道路整備事業は2年連続で他地区を大きく上回っている。公平を図るべきでは。」といったものです。
ところが市長はこの「A地区」を自分の地元のことをいわれていると勘違いして、「必要な道路であり、公正にやっている。議員のような屈折した考え…」となったわけです。
「A地区」は上議員によると、市長の地元の事ではなく、市内の全く別の地域のことです。
きちんと最後まで質問を聴けば分かったはずですが、あんなに激高するのは、なにかやましいことでもあるのか?と思ってしまいます。
また予算執行の責任者である市長が道路整備事業の予算配分に関して、何も知らなかったことが露見してしまいました。※3
議場での発言は公式発言であり、発言者の責任は軽くありません。
現在この問題は議長預かりの形になっています。最終日までに決着をと考えています。
ところで、「屈折」しているのは、どちらでしょうか…?。
※1 正確な文言については会議録ができた時点で全文掲載します。
※2 頑迷固陋(がんめいころう)…極まれり、です・・
※3 平成23年度の道路改良工事(概数)は全体で1億2937万円、内訳は「A地区」7659万円(59.2%)、その他の地区5278万円(40.8%)となっています。